たとえば、1998年に日本がフランス大会で初めてワールドカップに出場したときのエピソードがあります。
当時、前監督の成績不振を受け、ヘッドコーチだった岡田さんが急遽監督に就任しました。私自身も中学生の頃、深夜までテレビでその戦いを見守っていた記憶があります。
現在の日本代表はアジアでも屈指の強さですが、当時は出場がかろうじて決まるギリギリの状況でした。さらに、Jリーグ開幕後は国民のサッカーへの情熱が急上昇しており、各地で初出場への期待が高まっていました。
岡田さんが監督に就任した時点での成績は、1勝1敗2引き分けと厳しいものでした。
無条件でグループ1位となるのは到底無理な状況でしたが、2位であれば他グループの2位チームとの最終決戦に持ち込める可能性があり、そこに全力を注ぐしかありませんでした。
実際、就任当初は脅迫状や脅迫電話が絶えず、自宅前には24時間パトカーが待機するなど、非常に厳しい状況に置かれていました。また、岡田さんのお子さんの安全を考え、奥様が毎日学校への送り迎えをしていたほどです。
そんな中でも、彼はなんとか予選を3勝1敗4引き分けの成績で終え、最後の切符を懸けたイラン戦では、有名な“野人”岡野選手の決勝ゴールによって日本の初出場を決定づけました。
岡田さんは、イラン戦の前夜にご自身の「遺伝子スイッチ」が入った瞬間を強く感じたそうです。
当時の彼は、妻に電話で「明日もし負けたら日本に帰ってこれない」と本気で思いを伝えました。しかし数時間後、ふと
「もういい。明日、名将になろうなんて無理だ。明日できるのは今の力を100%出すことだけ。それで足りなかったなら仕方がない」
と自分に言い聞かせ、恐れを振り払い決意を固めたのです。この瞬間から彼の内面に大きな変化が生まれ、その後の人生にも大きな影響を与えました。